「いつかおじいちゃんおばあちゃんのためになることがしたい」——その気持ちから始まった

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福祉への夢と、現実との折り合い

清田英輝氏の原点は、幼い頃の家庭環境にある。母子家庭に育ち、祖父母に支えられた日々の中で、自然と「いつかおじいちゃんおばあちゃんのためになることがしたい」という思いが芽生えていた。福祉の世界へ飛び込むことが、最初から夢だった。

しかし、理想と現実の間には厚い壁があった。施設を持つにも、ボランティア活動を続けるにも、まとまった資金が必要だ。「お金がないと、できない」——そう割り切った清田英輝氏が目を向けたのは、自分が誰よりも得意としていた営業という武器だった。まずお金を会社に貯めて、そこから福祉へ。遠回りに見えて、これが最短ルートだと直感した。

間借りのオフィスから始まった挑戦

最初の一歩は、決して華やかなものではなかった。元上司の会社の一角を間借りし、数名の仲間とともに立ち上げたのは、インターネット回線の切り替えを提案するテレマーケティング事業だった。登記はした。でも事務所は借りていない。他の会社の人たちが働くオフィスの片隅で、自分たちだけの朝礼を開き、自分たちだけの営業に出かけた。

傍から見れば、みすぼらしい出発かもしれない。でも清田英輝氏の記憶の中に、苦しさはあまりない。「やりたいことができてるし、楽しかった」——その実感が、どんな不安よりも強かった。人との縁に助けられてスタートを切れたことへの感謝は、今も変わらない。

事業を安定させるため、テレマーケティングと並行して携帯電話のイベント販売も業務委託で開始した。「一本だと怖い」という判断で、通信業を軸に二本の柱を立てた。

転機は、商業施設の片隅で訪れた

25歳のとき、縁あってある商業施設での携帯電話販売に踏み出した。業務委託ではなく、1台契約いくらの直接形式で。おそるおそる入ってみたその商圏が、今思えば飛び抜けて良い場所だった。

これが、事業の流れを一変させる。 売上が伸びるにつれ、清田英輝氏は自らテレマーケティングの現場を離れ、携帯電話販売の最前線に立つようになった。1〜2年ほどで、事業の軸は完全に携帯へとシフトしていった。

成功の背景には、テレマーケティングで磨き抜いた「声だけで信頼を勝ち取る」技術があった。顔も表情も見えない相手に、言葉だけで心を開いてもらう。声だけだからこそ、対面するプレッシャーはない。しかしその分、トークだけで相手の懐に入り込む力が求められる。その難しさを20代前半でずっと鍛えられてきたからこそ、いざ対面の場に立ったとき、笑顔や雰囲気、コミュニケーションという武器をそのまま上乗せできた。「相手が見えない声だけで契約を取れるなら、笑顔を見せられる対面は余裕でしょう」——その自信は、根拠のある自信だった。

来店客に対して案内するだけの携帯ショップとは違う。自分たちは、買い物に来たお客さんに自ら声をかけ、主体的に営業をしかける集団だ。教育にも力を入れ、チームとしての営業力を磨き続けた。その姿勢と熱量が現場で確かな差を生み、「こっちでもやってくれ」と声がかかり始め、店舗は全国へと広がっていった。

売上はみるみる伸び、月商は3000万円規模へ。友人採用だったメンバーが中途採用へと移り変わり、組織の規模も変わっていった。そして、起業の出発点にあった福祉事業への扉も、少しずつ開き始めた。

「ちゃんとした人は、あんまりいなかった」

拡大する組織に集まって来たのは、どんな人材だったか。清田英輝氏は、笑いながら正直に話す。 「朝起きれませんとか、お酒飲んだら暴れちゃうとか、正直多くいました。僕も含めて」

世間的には「社会不適合者」と見られかねない若者たち。でも清田英輝氏は、それを問題とは思わなかった。なぜなら、自分自身も14歳で挫折を経験し、そこから営業で這い上がってきた人間だったから。ハンディを抱えた若者の気持ちが、誰よりもわかった。

「環境があれば、人は変われる」——その言葉を証明するような出来事がある。かつて「絶対に正社員にはならない」と清田英輝氏の前で宣言していたアルバイトの青年が、10年後には正社員となり、携帯事業のトップとして会社を引っ張る役員にまで成長した。

自分でレッテルを貼ってしまう若者は多い。「大学に行けなかったから正社員になれない」「転職に失敗したからもうダメだ」——そうやって可能性を自分で狭めてしまう。SNSが普及した今の時代、外からも心ない言葉が飛んでくる。それでも、考え方ひとつで人は変われる。清田英輝氏はそう信じ、社会的なハンディを抱えた若者が営業という舞台で自信とやる気を取り戻していく姿を、自分自身も「一緒に育っていく」感覚で、ずっと傍で見守り続けた。

「昭和の会社に勝ちたい」——反骨心が、チームを束ねた

初期のチームを動かしていたのは、シンプルな感情だった。「昭和の会社に、俺たちは勝てる」——その一点で、みんながつながっていた。難しい理念も、細かい戦略も要らない。この負けん気が、チームの燃料だった。

熱量は伝染する。チームの気迫は、顧客にもそのまま届いた。清田英輝氏自身が毎日現場の先頭に立ち、「おれの背中を見ろ、行くぞ」と旗を振り続けた。経営者というよりも、誰よりも前のめりな営業部長として、最初の5年間を駆け抜けた。

夢は、着実に近づいていた。 しかし、急成長의 先には、また新たな壁が待ち構えていた——。

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